椹沢地区紹介


B上椹沢石塔群(上椹沢旧四ッ谷入口東路端)
 庚申塔、定夜燈、庚申塔、大黒天、十八夜塔
 
 

庚申塔 安永5年(1776年) 写真右
 これは、庚申信仰の主尊とされる青面金剛像が彫られた刻像塔である。この像は六臂三眼(6本の手と3つ目)の忿怒像で頭部にドクロ、後ろの上の左手に輪宝、右手に三鈷鈎(三又になった矛のような法具)、真ん中の右手に剣、左手にショケラ(子供、女人か)、後ろの下の左手に弓、右手に弓矢を持ち、蛇を巻き付け、邪鬼を踏みつけている。台座の正面に三猿、左に雄の鶏、右に雌の鶏が彫られてある。一番下の台座の右側に建立年月日と石工の名が彫られてある。庚申講中で建立したものである。

定夜燈 明治20年(1887年)写真右から2番目
 正面に定夜燈、右側面に講中安全、左側面に建立年月日と導師清長院と彫られ庚申講中で建立され、建立の供養を清長院の先導で執り行わた。清長院とは村木沢に現存する寺院であり、上椹沢村では石塔など建立の導師や湯殿山講の参拝の先達を務めた。

庚申塔 弘化5年(1848年)写真中央
 安永5年の庚申塔から72年後に建立された、庚申塔と彫られた文字塔である。右側面に建立年月日、左側面に導師若木清長院宥教と講中の氏名、裏面に講中と世話人の氏名が彫られてある。

大黒天 文化25年(1805年) 写真左から2番目
 左側に導師大越家教覚院、講中の文字、裏面に講中の氏名が彫られてある。「大越家」というのは修験道の峰入りを相当数こなした山伏に贈られた称号であり、教覚院は下椹沢で湯殿山参拝の先達や石塔を建立する際、導師を務めた。亀岡家の祖先と思われる。大黒天は「偉大な黒い者」とする梵名から出た名であり、大国主との習合を経て近世以来は恵比寿とともに福神の代表的な存在となった。大国主命が父の素戔嗚尊から試され苦しめられた時、鼠が出てきてこれを救ったという故事と、陰陽道の子の神の化身が鼠とする思想が、融合したものと考えられている。また陰陽道では十干の首と十二支の首の取り合わせである甲子の日は祭りを行うのに最も吉日としている。

十八夜塔 文政8年(1825年) 写真左
 左に講中の氏名、右側に建立年月日が彫られてある。十八夜講というのは山形地域独特の民間信仰でこの講中で信仰する十八夜様ははっきりした主尊もなく正体不明であるとのこと。
 山寺千手院の講中では、正月十八日と九月十八日に若者組が早朝に集まり、水垢離を取り、餅搗きをし小餅を作り十八夜塔にお参りにいき、見物人にも小餅を配っていく。十八夜塔で、家内安全、身体堅固を祈る。参拝後は餅を食べる。その日は組の契約をしたり、相撲をとったり、博打を打ったりして遊び、夜更けに解散したという。15歳になると、この講中に入るのが義務であり、成人となる儀式であった。上椹沢も同様だったのであろう。

参考文献  
・石造文化財を訪ねて 昭和60年・同(続編)昭和62年 椹沢郷土史研究会・石仏調査ハンドブック 庚申懇話会 昭和47年 雄山閣・山形の石碑・石仏 安彦好重 平成4年 日本文化社
 
 庚申塔(刻像塔)  庚申塔(文字塔)
 
 
 
 
 
 
        定夜燈
 十八夜塔と大黒天
 



ページを閉じる


このホームページは、『椹沢コミュニティセンター運営協議会』が、運営しているページです。
このサイトのあらゆる文章・画像等の無断引用・無断転載・無断コピーはおやめください。
私的利用の範囲を超えるご使用の場合は、山形市椹沢コミュニティセンターの承諾が必要となります。