椹沢地区紹介


C下椹沢石塔群1(下椹沢351番地先路端)
 庚申塔、太神宮、蔵王山、石柱
 
 

石柱 万延2年(1861年) 写真右
 石柱の角は鈎型に加工してあり、六角形の台座に立っている。正面に建立年月日、左に奉納講連中と彫られてある。蔵王山塔と同年に建立されており、蔵王山講中で建立したものであろう。

蔵王山 万延2年(1861年) 写真右から2番目
 蔵王山と彫られてあり、蔵王山講中で建立したものである。裏面に講中の氏名、石工(山形百姓町石工駒沢伊之助)、右側に建立年月日、左側に講中の代表者や世話人の氏名が彫られてある。
 蔵王山は、元は不忘山(忘れずの山)あるいは刈田嶺(かったみね)と呼ばれていて、刈田嶺神は貞観11年(869年)に叙位されている。7世紀頃熊野岳に蔵王権現を勧請してから、蔵王山と呼ばれるようになった。蔵王山は単独峰ではなく宮城県と山形県にまたがる連嶺である。この山々に神仏混淆の山岳信仰が発生し、山中に霊場が設けられ、修行者や登山者が、この山域を参拝した。明治の神仏分離令で蔵王権現は蔵王刈田嶺神社になった。

太神宮 文政8年(1825年)写真右から3番目
 太神宮と彫られてある。伊勢講で建立した。伊勢講は伊勢の両大神宮(天照皇太神宮、豊受大神宮)を崇敬する目的で結成された信仰団体である。伊勢講は講員が交替で拠出した講金を旅費として伊勢参りを行った。全員代参が完了したときなどに石塔を建てており、この塔も同様と思われる。裏面に講中の氏名があるが判読できない。右側面に建立年、講中の7名の氏名、左側に導師教覚院、講中の氏名が彫られてある。もしかすると右側の7人は代参した講中の面々ではなかろうか。

庚申塔 文久2年(1862年) 写真向かって左
 これは、上椹沢の石塔群と同様の青面金剛像が彫られた刻像塔である。この像は六臂三眼(6本の手と3つ目)の忿怒像で頭部にドクロ、後ろの上の左手に輪宝、右手に三鈷鈎(三又になった矛のような法具)、真ん中の右手に剣、左手にショケラ(子供、女人か)、後ろの下の左手に弓、右手に弓矢を持ち、蛇を巻き付け、邪鬼を踏みつけている。台座の正面に三猿が彫られてある。石塔の右側に建立年月日、裏面に開眼導師教覚院と庚申講中の氏名、台座に石工(山形石工長作)と願主、世話人の氏名が彫られてある。庚申講中で建立したものである。教覚院は下椹沢で湯殿山参拝の先達や石塔を建立する際、導師を務めた。亀岡家の祖先と思われる。
参考文献  
・石造文化財を訪ねて(昭和60年)・同(続編)(昭和62年)椹沢郷土史研究会・石仏調査ハンドブック 庚申懇話会 昭和47年 雄山閣・山形の石碑・石仏 安彦好重 平成4年 日本文化社
 庚申塔(刻像塔)
蔵王山
 
 
 
太神宮 
      
 石柱
 



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