水分神社  
   吉原の鎮守の神、虚空蔵様と呼ばれ信仰されてきた。もともとは寺院であった。建立時期は定かでないが、天正元年(1573)の初めころに寺院があったものと推定される。現存社殿の建立についても不明であるが、祭壇床下に寛延元年(1748)の墨書がある。
 明治の初めに、時の政策により、仏閣から水分神社に改められている。