観音堂(かんのんどう)
長岡館(次項)の北端にあるお堂です。館の観音堂とも呼ばれています。
聖観音(しょうかんのん)の石仏像が安置されており、祭日は旧暦7月10日です。
すぐ近くには無縫塔が建っており、かつては堂守として尼僧が近くに居住していたことを偲ばせます。
長岡館(ながおかたて)
最上四十八館の一つとされ、村木沢館とも呼ばれています。山城があったと考えられ、かつては最上家の防衛拠点として使われた場所なのかもしれません。
大正4(1915)年からはその頂上部に宗吾尊(千葉県成田市にある宗吾霊堂の分霊)が祀られています。かつては地区内外から300人を超える講中(同じ信仰を共にする仲間)が集まったそうです。
正光院跡(しょうこういんあと)
金沢にあった当山派修験宗正光院は、明治に廃寺になり、当時の建物はすでに取り壊されています。しかし、境内にあった梵天柱はそのまま残され、そこから、梵天屋敷と呼ばれるようになったそうです。
阿弥陀堂(あみだどう)
悪戸にある阿弥陀堂如来像を祀るお堂です。
最上義光の妹・義姫が、天正18(1590)年頃に南館の草庵で念仏三昧の生活を送っていたある夜、本尊の阿弥陀堂如来像が消え失せ、後に悪戸の北方200mの田圃で見つかったそうです。これを見た義姫が、何かこの場所に深い縁があるのだろうと考え、尊像の落ちたところにお堂を建てたとされるのが由来です。
後に、阿弥陀堂は義姫が居住していたとされる局屋敷の前に移され、現在に至っています。
白山神社(はくさんじんじゃ)
悪戸にある神社で、祭神は白山比盗_(しらやまひめのかみ)とされています。
慶長の初め頃、最上義光の妹・義姫が悪戸で生活していた際、義光公は義姫の守護役として加藤掃部左衛門清次という武士を悪戸に遣わしました。ある時、掃部左衛門がお堀の工事中だった山形城二の丸の西門附近で光る美石を発見し、それを人夫に運ばせたところ、悪戸の邸の近くで石がにわかに重くなり、一歩も運ぶことができなくなったそうです。掃部左衛門がこの由を義光公に注進し、祈祷神おろしを行ったところ、「自分(美石)こそは白山権現であり、義光公の城普請にあたり投げ捨てられた」との告げがあり、すぐにお堂を建て、美石を安置して祀ったのが白山神社の由来とされています。
「見どころ・史跡」へ戻る 