鈴川の歴史


山家城址散策路 完成!!

 山家城址は、最上家山形城を支えた戦国武将山家河内守の城跡です。
当時の守りの堅固さを物語る石垣が残っています。
お散歩がてら気軽に登ることができる散策路が整備されましたので、
どうぞみなさん、登ってみでけらっしゃい♪


写真 散策路の略図
散策路入口の案内板
(クリックすると大きな写真がひらきます)

 主な地点までの距離
      ・見晴らし台まで      約150メートル
      ・本丸跡(三角点)まで  約430メートル
      ・二の丸跡(石垣)まで   約530メートル  


山家城址散策路(野伏山)への地図
(鈴川ふれあい館Aから山家城址散策路入り口Bまでのルートが表示されています)

大きな地図で見る(外部サイト)



 城址の山は、山家側では「館山」「野伏山」、高原側では「七つ森山」と呼ばれています。標高234メートル、比高80メートルで、長谷堂城とほぼ同じ高さです。
 山家城址は最上家山形城を支えた戦国武将山家河内守の城跡です。山家氏は、最上家の祖である斯波兼頼に仕え、最上義光の時代には山形城の東の守りを固めて義光を支えました。その史跡保存と景観開発のため市の助成を受け、小中学生から地区民・市民が気軽に登れるようにと整備をすすめ、平成25年5月、待望の散策路が完成しました。

        写真 散策路がジグザグに見えます。所々にはのぼり旗も。
           
鈴川ふれあい館から望む山家城址
      (クリックすると大きな写真がひらきます)

 整備以前は、石垣の隙間に生えた樹木の根と、約700年間の風雪による被害で、上部の崩落があちこちに見受けられ、また急勾配のために足場にも注意が必要でした。そのせいもあって、地元民でも城址を知る人は少なく、また地区外からの見学者が来ても「道がなくて登れなかった」という話もありました。
 「せっかくの史跡をもっと多くの人に知ってもらいたい」と、鈴川郷土研究会が土地の地権者に交渉をし、会員で下刈りなどの作業をし、残存する石垣などの史跡の調査を行いながら散策路の整備にあたりました。
 今年(平成25年・2013年)は、最上義光公の没後400年祭にあたります。この記念の年に散策路が開通したことはとても意義深いものがあります。



山形新聞にて紹介されました!

☆ 【山形新聞:平成25年5月17日(金) 朝刊 第45936号】

☆ 【山形新聞:平成25年6月8日(土) 朝刊 号数不明 】  


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