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切支丹道

 ここに残る小道は飯塚の北から揚柳寺の東を通り、南は上ノ山までも通じていて、切支丹信者やバテレン(宣教師)たちが人目を避けて往来していたと言われ「切支丹道」とか「伴天連道」の名で呼ばれていた。
 また、飯塚には旅の宣教師を葬った「異人塚」があると言われながら場所は不明であったが、昭和41年、ここの県道北側から凝灰岩製六面の石幢が出土。彫像より切支丹遺物と判明した。厚意により揚柳寺境内に保管されていたが、当初に祀られることとなった。
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