陣所が在った地点は、菅沢 沢泉寺 背後の丘陵地であるが、昭和43年頃付近一帯をぶどう畑に造成し、その際主要な遺構は大分削平されました。
 その後、丘陵上に養護施設が建設され遺構はほとんど消滅しました。
 現在、丘陵稜線から若干下がった浅い谷状凹地の源頭部を囲むように段々の畑が確認され、「岩井戸」
称する井戸が残っています。
 畑地造成以前、丘陵の頂端部にコノ字状を呈する幅3m・深さ60cm程の空堀があり、南橋は東西に走る約250mの空堀によって区画された陣跡があったと言われています。
 
  
   降雪時及び夏草の繁茂する時期以外であれば確認ができます。
 是非お越しください。

                     長谷堂合戦ボランティアガイドの会
 

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