長谷堂合戦にまつわる様々な情報がご覧いただけます
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   本沢は山形市の南西部に位置し自然に恵まれた豊な環境の中、歴史と文化そして様々な農産物を産する豊穣の地です。
 その本沢をわかりやすく紹介するには4つの切り口があります。

その第一が「歴史の里」です

 慶長5年(西暦1600年)「出羽の関ヶ原」と言われた「長谷堂合戦」があった地です。圧倒的軍勢の米沢上杉軍(直江兼続軍)に一歩も譲らなかった長谷堂城の軍勢の戦いは今なお語りつがれ、討たれた敵将等も分け隔てなく400年以上も共に祀ってきた土地柄です。
 またその長谷堂城址は建物こそ残っていませんが、土塁や曲輪・空堀等様々な遺構が残り今でも誇れる城郭遺跡です。
 さらに「滝の山遺跡」という大伽藍があったとされる仏閣遺跡の存在も地域魅力の一つです。

その第二が「文化の里」です

 上山市出身の斉藤茂吉の直弟子で、後に山形市の名誉市民となった”結城哀草果”の生誕の地であり、地域に短歌等の文化をひろめました。今でも多くの人が短歌や俳句に親しみ、その下地からコーラスや民謡・太鼓・絵画等様々な分野での文化の香りが漂う地域です。
 また、この地が輩出した文化人としては、長谷堂西養寺に誕生した”本沢竹雲”は、上山藩の藩校明新館の儒学を担当し、後に天童市に「格知学舎」という私塾を開設し漢学・儒学などの指導を行いました。
 さらに、生活綴り方で有名な文集「やまびこ学校」(上山市山元)の先生「無着成恭」もこの地の出身です。

その第三が「ぶどうの里」です

 デラウエアの生産日本一と言われた本沢のぶどうは、その後他に先駆けてハウスぶどうの栽培で出荷時期を大幅に早め産地間競争を戦い抜き知名度を守ってきましたが、後継者不足で生産者数も大幅に減少しました。それでも現在は大粒ぶどうで大人気の「シャインマスカット」の産地に変貌しながら、多く人の購買心を魅了する「ぶどうの里」を堅持しています。
 また、地域の越冬食材であった青菜漬けは「本沢の青菜漬け」としてブランド化が定着し、本沢を知らしめる地域魅力となっています。

その第四が「福祉の里」です

 昭和61年に向陽園が開設以来、すげさわの丘に山形西部地域包括支援センターを含む三つの福祉施設、さらに菅沢地区に厚生病院が開設されるなど、規模の小さな本沢の地に五つの大きな福祉施設があります。
 これらの施設は少子高齢化時代の市民生活を支えるバックボーンとして、中核市山形が目指す「健康医療先進都市」実現の下支えするものであります。
 

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