鈴川の歴史


1、盃山から 
 鈴川の名所といわれた盃山は、279メートルの小山で、その麓(ふもと)を馬見ケ崎川が流れ、その頂上には古峯(こぶはら)神社が祀られています。
 以前は、どこの学校でも遠足や登山と言えば盃山に登り、また朝の登山も行われていました。最近では古峯神社に参拝する講中の人々が毎日登っているようです。
 現在の国道13号バイパス開通により、盃山の両足ともいうべき登山道が無残にも切断された頃は、登る人がめっきり少なくなりましたが、今は東側に孝道教団東北別院が建ち、そこから盃山へ登る人々の姿をみることができます。

  ◆古峯神社(こぶはらじんじゃ)・・・盃山頂上 歴史マップ47参照
 盃山の古峯神社は火の神様で、日本武尊が祭神です。鈴川地区にはこの他に、山家本町や印役にも祀られています。今の参道はバイパスの東にある無量寺の墓地から登るようになっていて、史跡標柱はそこに建てられています。
写真 盃山の古峯(こぶはら)神社 正面鳥居


写真 盃山の古峯(こぶはら)神社 石燈籠


写真 盃山頂上より、北へ向けて馬見ケ崎川を展望
盃山頂上より、馬見ケ崎川を展望




  ◆双月堤防修築碑・・・歴史マップ48を参照
 「馬見ケ崎川」は暴れ川といわれ、数度に及ぶ洪水で鈴川地区民は大変な
難儀をしました。その決壊復旧工事記念碑が三基建立されています。内一つ
は東村山郡群長、他の二基は山形県知事の碑文で洪水の状況や復旧まで
の苦労の様子が碑面に刻まれています。
写真 双月堤防修築記念碑1


写真 双月堤防修築記念碑2



  ◆双月山ノ神社(そうつきやまのかみしゃ)・・・歴史マップ28を参照
 山家本町や和合、高原の各地にも山ノ神神社(やまのかみじんじゃ)が祀られていますが、ここの双月だけはなぜか「やまのかみしゃ」と呼んでいます。祀る神は殆ど同じで、秋から冬期間は山の神、春から秋までは農耕の神として篤く近隣の人々から信奉されています。
 この近くの不動川を渡ると成田山新勝寺の別院もありますが、今では無人となっています。また、山ノ神社の隣には古い建物があり、新築前の山ノ神社の社屋を移し稲荷様が祀られています。
写真 双月山ノ神社 正面


写真 双月山ノ神社の標柱


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