鈴川の歴史


2、沼の辺をめぐって
【沼の辺貯水池の歴史】
 毎年のように夏休みになると、「沼の辺貯水池」のことを聞ききたいという生徒や児童が増えるそうです。
 この地域がまだ鈴川村と言った頃のことですが、毎年旱魃(かんばつ)が続いて、農家の人々が灌漑(かんがい)用水に困り、「水が欲しい、水が欲しい」と悩んだ末、何とか水を蓄えておく池を作ろうということになりました。そしてその候補地に大平山の北鹿の蛭田(和合)、日月山の東麓の沼の辺(山家)が選ばれ、種々検討の結果、沼の辺に貯水池を造ることに決まったそうです。そして昭和18年の秋から着工して5年の歳月を費やして、昭和23年に漸く竣工したのでした。この工事を始めた戦時中は、労働力確保に苦労し、戦後はインフレに悩まされ、農地解放に遭うという三重苦のなかで、初一念を貫き完成に情熱を燃やした、武田伊七翁の偉業は今も語り継がれています。
 この貯水池を美しくと、桜の植栽がなされたり、事務所を作ってボートや屋形船まで浮かべ、氷の貯蔵庫(氷室)さえ造られましたが、ボートも屋形船ももう廃止され、氷室もその後埋め立てられてもうその影さえありません。それに花見時は沼のほとりに無数のボンボリ提灯も点いたこともありました。当時の面影は失われましたが周囲の山々も、神社も美しく、それに釣りを楽しむ人々が遠くから訪れて賑わっています。
   
湖に 降る雨 みどり 山みどり
 降矢東郊(ふるや とうこう)先生の句のように、みんなで美しい沼の辺を。
 色々な名目のもと自然が壊されないよう、みんなで守らなければならないと思います。

写真 降矢東郊先生の句碑1
東郊先生の句碑は、沼の辺の西の山麓に建っています。

写真 降矢東郊先生の句碑2
「湖に 降る雨 みどり 山美土利」

写真 沼の辺貯水池
広い湖面を悠々と泳ぐ鳥と、岸にはたくさんの釣り人の姿が。




  ◆日月神社(にちがつじんじゃ)・・・歴史マップ31を参照
 日月山(地元呼称は「にちがっつぁん」)の慰霊碑の側から登ると、古い石碑や石鳥居が建っています。バイパスのない頃は、現在の観光タクシーの社屋の西側から登る参道がありましたが、現在は沼の辺側から登ることになります。
 刻まれた碑文によると、石鳥居は嘉永2年(1849年)に建てられたことがわかります。日月神社は明治初期の神仏分離令前まで日月燈明佛を祀り、日月大権現と称していました。約18年程前、和合町で祭壇を新築しました。今の祭神は天照大神と月詠命です。

写真 長い石段の途中に石の鳥居。
長い石段のわきには所々にちいさな石の祠も。


写真 立派な「参道碑」 写真 鳥居の額 うっすらと朱色が残る「日月大権現」の文字。
立派な参道碑。鳥居の額には「日月大権現」の文字。


写真 日月神社
日月神社

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