鈴川の歴史


  ◆日月山 明光寺・・・歴史マップ4を参照
 日月山のもう一つの頂には素晴らしい寺が建っています。日月山明光寺という日蓮宗です。付近の人々からは「日蓮さま」と親しまれています。驚くような木造の名建築、加えて八角堂もあります。八角堂は、宗祖日蓮聖人のご真骨を祀る堂宇で、その前には立派な日蓮聖人の銅像が平成14年に完成しました。東京池上本門寺からのご分骨を盛大な行列で迎えたのは大正10年4月28日の事ですから、もう90余年前となりました。

写真 明光寺正面
明光寺 正面

写真 明光寺 雪囲い準備中
伺ったときは、ちょうど雪囲いの準備中でした

写真 句碑「日月山は日蓮 宗の東北道場 太鼓の音に山河 ゆるぎつ」
句碑



  ◆和合山ノ神神社・・・歴史マップ55を参照
 明光寺入り口付近には和合山ノ神神社があって、これも双月と同様、やはり田ノ神・山ノ神を信仰する神社です。そこには東北中央病院誘致の記念碑も建ち、さらには近くの蛭田付近から出土した五輪の塔も残っています。

写真 和合山ノ神社


『東北中央病院』(和合町3−2)
 沼の辺の南方の田園に東北中央病院を誘致しようと、地区民が一致して立ち上がったのは昭和30年頃でした。国道13号バイパスの話などはまだ全然なかった頃でしたから、美しい田園に誘致するという理想を掲げ、難儀と努力を重ね、とうとう完成したのです。
 そしてその病院も再度新築され立派になり、それを中心に新しい街(和合3丁目)さえ出来ました。

写真 東北中央病院
和合山ノ神社から望む東北中央病院



  ◆熊野神社(入虚空蔵堂 いりこくうぞうどう)・・・歴史マップ49を参照
 入虚空蔵様は、正式には黒滝山如意大満虚空蔵(こくりゅうざんにょいだいまんこくうぞう)と言い、延文年間には最上家の祖、斯波謙頼の腹心である兼慶(かねより 山家河内守兼慶)が山家村の地に村の鎮守として奉祀したのが始まりと伝えられています。建物は、宝暦4年(1754年)のもので、建築当初は極彩色が施されていたようです。よく気をつけて見ると今も僅かながら色がついているのが判ります。
 この時、喜捨(きしゃ)を求めて奉納されたのが「山家田植踊」です。
 明治当初の廃仏毀釈の政策によって熊野神社を合祀して現在に至っています。
 空虚蔵尊のご本尊は祭り以外は麓の別当職である武田正志氏宅に大切に祀ってあります。


写真 熊野神社 正面
美しい彫刻が施されています。両脇は…狛犬?


写真 石碑「黒瀧山山家如意大満虚空蔵大菩薩の由来」
由来の書かれた石碑


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