鈴川の歴史


  ◆にひゃくじ遺跡・・・歴史マップ30を参照
 有史以前から、この地区からは土器・石器などが出土していましたが、高速道が建設されるに当たって県の埋蔵文化センターの手によって、本格的な発掘調査を行ったところ、縄文中期から弥生時代にかけての約三千年ほど前の先住民族の住居跡が確認され、多数の鏃や石器の破片が出土しました。狩猟民族が居住し移動を重ねていたと思われます。本来は二百寺という地名ではなく、「二白寺」であるとも言われています。金勝寺創建以前に既に寺が存在したとの伝承もあります。

写真 にひゃくじ 標柱
にひゃくじ遺跡

写真 にひゃくじ 分水碑
分水碑

 ◆青麻宮・・・歴史マップ26を参照 
 俗に「あおそさま」と言われて鈴川地内には入虚空蔵堂に登る階段手前にもあり、調査をすればもっと存在しているかも知れません。本宮は仙台市の市民の森近くにあって、付近の人々が講中を作って、文政六年(一八二三)に本宮から分祀したものです。現在はその講中も影が薄くなって細々と続けられています。

  ◆蔵王山碑
 この碑も文政七年(一八二四)の申洪水の山家地区の犠牲者となった人々を供養し再び洪水の起こることを防ごうと供養した塔なのです。
写真 甲洪水碑 蔵王山 標柱 sekitou





  ◆大野目・表宿・川原宿・垂松石塔群・・・歴史マップ15・51・53を参照
 何れの石塔も近年になって道路改修工事などによりばらばらに建てられていたものを集約したものです。それだけ鈴川地区には多くの石像文化財があることを証明しています。特に表宿の石塔の中には、後述の糠塚に関連したと思われる古い真言密教系と思われる「アビラウンケンソワカ」の呪文を刻んだ石塔や、川原宿には珍しい「疱瘡神」を祀ったものもあります。
垂松の石塔群は、俗に五地蔵と言われ、洪水の起こるのを防ぐために祈ったものと思われる塔も存在します。
大野目の石塔群もバイパス工事の際に集約されたもので、代表的なものに「法華供養塔」などもあります。石塔はその他まだ多数残っています。



写真 表宿石塔群 標柱
表宿石塔群

写真 川原宿石塔群 
川原宿石塔群

写真 双月垂松石塔群
双月垂松石塔群


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