鈴川の歴史


3、金勝寺と関連寺院
 金勝寺は何と言っても山家城主の菩提寺と言われていますが、寺には山家河内守を記す古文書はいっさい残っていません。
 山家と言う地名は自然発生的な飾り気のない素朴な村名ですが、その山家村(今の山家本町)に佛母山金勝寺という古い寺があることはもう誰も知らない人はいないでしょう。
 末寺として無量寺を前途しましたが、関連寺院の一つです。それを除いて鈴川地区における末寺や関連寺院を後述します。
◆佛母山 金勝寺・・・歴史マップ1を参照
 南北朝時代の暦応三年(一三四〇)二月、夢窓国師という名僧によって開創されたことを伝えていますが、それ以前既に山家集落には法相宗で「建正寺」という名で建立されていたという伝承もあります。宗旨は不明ですが元は出羽國の元庄司従四位出羽権守山家氏の菩提寺であったというのです。夢窓国師の開創時は臨済宗であったことは間違いありません。それからもう六百七十年余の歴史を経ていることになります。
 その後室町時代の應永十七年(一四一〇)正月、山形二代城主斯波直家公が葬られ、法名を金勝寺殿潭光公大居士と号し、その菩提寺となり開基となりました。その時その子が満直公が、堂塔伽藍を建立し、山林竹木、寺領をはじめ色々なものを寄進して篤くその冥福を祈ったのでした。
 下段の写真は直家公の墓案内碑と夢窓国師の墓碑、直家公の古墓五輪塔
 その後天文二年(一五三三)新庄市の戸澤家の菩提寺瑞雲院から五世三光存辰大和尚が住職として入寺、それ以後曹洞宗として現在まで多くの壇信徒のもとに続いており、現住職の禅董大和尚はその二十七世にあたります。
加えて境内には地蔵堂・観音堂(旧僧堂跡地)・秋葉神社・摩利支天堂・五百羅漢堂などがあり、庭園は夢窓国師の指示によって造園されたと言われる見事なものです。

写真 佛母山 金勝寺表山門 
佛母山 金勝寺表山門     

写真 金勝寺中台門 写真 斯波直家公案内石碑 
金勝寺中台門   斯波直家公案内石碑


写真 夢窓国師墓碑 写真 斯波直家公古墓五輪塔
夢窓国師墓碑  斯波直家公古墓五輪塔 


 ○五百羅漢と摩利支天
 この寺はまた五百羅漢と摩利支天を祀ることでも有名です。京都の有名な佛師の作った五百体の羅漢像が、京都→大阪→(日本海)→酒田→そして最上川を通って長崎(今の中山町)→山家と、日本海と最上川を経由して金勝寺に到着し、土蔵造り二階建ての羅漢堂に安置されました。
 わが山形市内では五百羅漢像を供えた寺は、この寺の他、上桜田の耕源寺と北山形の龍門寺以外にはありません。そして、金勝寺ほどの立派なものを供えた寺はなく、現在は時が経ったために破損も進み、何体かずつ修理の手が加えられていますが、五百体の修理となれば相当年月がかかるものとみています。
 また、摩利支天様は、古くから信仰祈願され霊験あらたかな御佛として崇敬され、霊験記が伝えられています。更に山家河内守との関連もあるようですがそれらについての記録は残っておらず伝承のみのようです。
 その他本堂・庫裏・宝藏・観音堂をはじめ多くの伽藍が美しい自然の中に立つこの寺はまさに山形の名勝史跡とも言うべきものでしょう。
写真 金勝寺内摩利支天堂
 金勝寺内摩利支天堂
写真 美しい自然の中に建つ金勝寺
美しい自然の中に建つ金勝寺

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