山形市楯山コミュニティセンター         たてやまなかま館
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 〜楯山地区紹介〜
 
☆楯山地区の概要 

  沿革

    楯山地域は、県都山形市にあって、北東部に位置しています。奥羽

山脈に源を発して西流する立谷川と村山高瀬川の複合扇状地に集落を

形成し、発展してきた地域です。

  
 明治
22年(1889年)4月に風間青柳十文字青野の4か村が合併

し「楯山村」が誕生しました。当時は、地域の
70%の戸数が農業を営

む農村でした
その65年後の昭和29年(1954年)10月に山形市へ合併

し、これを契機に都市開発が進められ、戦争中の飛行場跡地は住宅地

として造成されましたまた、高度経済成長と相まって、一段と交通

網が整備され、地区内及び周辺に工業団地・流通団地・卸売市場など

も立地したため、サラリーマン家庭が増え、住民の生活は一変しまし

た。近年は県立保健医療大学・県立中央病院などが建ち、各種の公共

施設が集積されつつあります。


《地区人口》  5,115人 

《世 帯 数》  1,819世帯 
               
        
   (住民基本台帳に記録されている世帯数及び人口−平成30年1月1日現在)

 

《公共施設》

 ・楯山小学校 ・高楯中学校


《イベント》

5
月 大 岡 山 登 山…楯山小学校創立記念式典に合わせ楯山小学校児童が50年以上前から、大岡山登山を行っている。

8月 楯山地区大運動会…風間・青柳・十文字・新開の4地区対抗でマラソンやまり入れなど10種目の競技を行う。

10月 楯山地区文化祭…地域の方々の作品・展示品発表や、各地区団体・サークルの歌・踊りを発表し、子ども会など 地域の団体による売店などもあり毎年賑わう。



 
  楯山地区案内図 遺跡と泉の里 たてやま
 
 
風 間 
 
 延命水神(えんめいすいじん)
大岡山
(おおおかやま)
 
風間の六面幢
(かざまのろくめんどう)
  
 昭和18年(1943)未曾有の大旱魃時に風間上部落に堀削された三ヶ所の井戸の一つで、これまでどんな日照りの時にも涸れたことのない湧水
で動力により揚水しております。
 百名山に選定された
大岡山トレッキングmap
「やまがた百名山に登ろう」は
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  楯山地区最初の市指定有形文化財であり、子育て、交通安全の祈願所として古くから信仰され大切に守られてきた。
 凝灰岩製六面の幢身で、高さ170p余、上部各面に長方形のあながあり、この中に地蔵菩薩の小僧を安置したものである。

長清水(ながしみず)  石棺(せっかん)  
 
  夏も冬も澄明な水質と水温12度を保ち、風間寺西から青柳までの広大な田園を潤し、養鯉池を賄って悠々と白雲を映し、豊富な湧水を出し続けている。

 
  石棺の大きさは、長さ1m30p、幅55p、深さ30pあり、大小20枚の石英粗面岩で組み合わされている。
 楯山小学校グラウンド西側に整備保存されている。
 
  
 
十文字 
 
 高澤堰と水神(たかさわぜきとすいじん)  天満神社(てんまんじんじゃ) 薬師堂(やくしどう) 

  十文字は水田に恵まれず、大森地区を流れる高瀬川より取水し、「高澤堰」の工事をした。
  そこから約200m東の水源池に水神様が祀られている。

 
  天満神社は、十文字集落の北側にあり境内は1,000坪余ある。杉のほかけやき・エゾエノキ等巨木があり、山形市の保存林にも指定されている。

  「阿弥陀寺記録」によると、文明17年頃、十文字村に悪疫が流行したため当時20世住職覚誉上人が、薬師堂を現地 
古峯神社(こばはらじんじゃ)    
 
  明治時代中頃、十文字村は火災が多発し、不安に陥っていた。
 そこで、栃木県鹿沼にある古峯神社は火防の神であることから、
講中を組織して参拝し神のご加護に頼るのが最良策と建立した。

   
 
 青 柳
 
 青柳城(館)跡(あおやぎじょう(たて)あと) 青柳(河原)の水神(あおやぎ(かわら)すいじん)
洪水山長谷寺(こうすいざんちょうこくじ)
 
  青柳に青柳城(館)があった。
『最上出羽守義光公分限帳』によれば家臣団に名を連ねており、応長7年、長谷川長右衛門、2千石と記されている。
  青柳を中心に領地があったものと思われる。

  
  村山高瀬川の北辺に、大小二つの水神大権現の石碑がひっそりと建っている。この石碑は河原地区の人たちが大事に守ってきた水神の石碑である。
 
  本尊は大日如来で、延文5年斯波兼頼の創建と伝えている。本山は、弘法大師空海が開いた真言宗の一派で、京都東山にある智積院である。
  
  

長谷観音(はせかんのん)

経壇山
(きょうだんやま)

五六清水
(ごろくすず)
 

   本尊は十一面観音であり、現在の奈良県桜井市にある、真言宗豊山派の総本山長谷寺の本尊である十一面観音より、分霊されたとのことである。
 
  経壇山の名称の由来は、昔、一本に浄光寺と言う寺があり、最上義光の時代に山形の鍛冶町に移った。その際に多くの経典や経巻が土中に埋められたので、径壇山と
言われるようになった。
 
  村山高瀬川下流の低平な扇状地に位置する青柳地区には、高瀬川の豊かな伏流水があり、多くの清潤な湧水地をもたらしている。
 どんな年でも涸れることがない。

青柳八幡神社(あおやぎはちまんじんじゃ)     
 
  青柳八幡神社は青柳の鎮守の神である。
  明治5年五穀豊穣と災難除けの神として奉斎されたと伝えられている。

   
 
 下青柳
 

白山堂
(はくさんどう)
 


観世音菩薩(かんぜおんぼさつ) 
 






 
  祠は南向きの石造りで、土台の上に30pの祠、その上に笠があって、全高70pである。
 
  全高160pの石碑で文化10年3月大吉祥日と刻まれており、文化10年の建立である。
 
 
 青 野

上埜山大樹院(うえのさんだいじゅいん) 
 

三島稲荷(みしまいなり) 

 
 
  天長元年(842)に、現在の風間に「上埜山大樹院遍照寺」と号し、修験道場として開山したと伝えられている。
 
  青野地区にあるお花山の山頂に、「三島稲荷明神」という小祠があり、青野・高原の村民から五穀豊穣の氏神様として厚く崇敬され、大変賑わっていたという。
 
 
 
 新 開

旧日飛飛行場跡(きゅうにっぴひこうじょうあと)

  第二次世界大戦で、日本が深刻な状況に追い詰められた昭和17年、横浜市鶴見区に本社があった日本飛行(株)が鉄砲町に山形工場を建設し、練習飛行場として新開・伊達城一帯を買収して造成した。