鈴川の歴史


6、鈴川の生んだ偉人たち  
 鈴川には多くの偉人が生まれましたが、中でも次の三人の方は民衆からも大変慕われた人達です。

◆算学者 酒井政六先生・・・歴史マップ32を参照 
  荒井政六は鶴岡藩の酒井侯に仕え、酒井姓を名乗ることを許された程の人物でした。幼少の頃から鋭敏で勉強好きであったと言います。十七歳で大阪へ勤勉に行くほど秀才であったと言われています。後に塾を開いて算学を教えました。弟子の人達は鈴川を中心に沢山いたようです。
 長谷川利助翁や太田誠徳などもその弟子でした。
  安永九年 (一七八〇) 双月に生まれる。
  享和三年 (一八〇三) 大阪にて和算を長岡良助能一に師事し、
                 計測図(測量・経理・和算)を習得する。
  文政二年 (一八一九) 両所宮に関流の算額を奉納する
  安政二年 (一八五五) 逝去、享年七十七歳

写真 算学者 酒井政六先生 生家 標柱
 算学者 酒井政六先生 生家 標柱

 ◆長谷川利助翁とその碑・・・歴史マップ23を参照 
  利助翁は印役村に生まれ、双月の酒井政六敏明から測量術を学び、文学を宮町の田中一夕から学びました。
 山形県令三島通庸の土木事業に協力し、馬見ヶ崎川堤防工事、用水路の建設、山寺街道の開鑿など幾多の工事に尽力した人であり、通称「親方様(おやがっつぁま)」と呼ばれ親しまれた人です。
  文政九年 (一八二六) 印役村に生まれる。
  文久三年 (一八六三) 印役村名主を命ぜられる。
  明治五年 (一八七二) 印役村戸長となる。
  明治二十九年 (一八九六) 郷土のため大いに尽力し逝去する。
 印役一丁目にある功労碑の碑文と和歌は、海上胤平の作です。
  
◆和合屋佐吉生家・・・歴史マップ33を参照
 佐吉は生まれた村の名をとって和合屋佐吉と称しました。江戸末期から明治初期までの鈴川きっての大侠客と言われ、庶民には大変親しまれ、よく人の面倒を見たと言われています。いろいろな逸話もあります。特に郷土の産業発展に尽くし、世人から大いに信頼されていました。今でもその生家が殆ど手付かずに残っています。墓石も生家の屋敷内に建っています。
写真 和合屋左吉生家 標柱   写真 和合屋左吉生家 
 幕末の侠客 和合屋佐吉 標柱 生家 

 、山家氏と館山 
 昔から「山家の館山には山家河内守という殿様がいた」と伝えられてきました。
 しかし長い年月の波に洗われてその証拠は何も残っていません。しかも金勝寺の過去帳には書いてはありますが、その墓石もなく、古文書も残ってはいません。恐らく火事による消失とも考えられます。
 ところが鉄砲町の光禅寺の開基で山形城主の最上義光の墓前に四人の殉死者の墓が建っていますが、その内の一基に山家河内守の墓があります。「即永了心居士」の戒名と「慶長十九年二月九日」「源義光家臣」「山家河内守」と彫られています。即ち、山家河内守は山形城主最上義光(五十七万石)の家臣で主君がなくなったとき殉死したことが判ります。
 それは、慶長十九年(一六一四)今から三百九十余年前のことです。色々な文書によると、山家城は山形城を守る最上四十八楯の一つでその領地は三千石であったとも書かれています。
 しかし、館山の山続きの麓に金勝寺がありそこには二代城主斯波直家公の墓がありますがどうして山形城主がここに葬られたのか、そのあたりの事情が不明なのです。そして主君義光の殉死までした山家氏の一族がどうして地元に残らなかったのか、その謎を解こうと努力していますが未だ不明です。
 山家氏を名乗る人々は全国各地におりますが、ヤンベと称している人がおおいようです。ほかにヤマガ・ヤマカ・ヤマヤなどと呼んでいる人もおります。

 ◆山家城址
 山家の館山(一名野伏山)の頂上に本丸・二の丸・三の丸が東西に拡がる山城であったと言われ、山形城を守る四十八楯の一つで山家河内守(三千石)の居城でした。
 またの名を高原城とも言われていた伝承もあります。殆ど高原地区の人々が家臣であったとも言われていますが、現在名乗るひとはいません。
写真 散策路がジグザグに見えます。所々にはのぼり旗も。
 鈴川ふれあい館から望む山家城址

 ◆玉ノ井・・・歴史マップを24参照
 昔から清水の湧く所で山家城の七清水の一つで、残っているのはこの清水だけのみのようです。今でも僅かながら水が湧き出ていて俗に首洗い井戸とも呼ばれていますが、何故そう呼んだのかはっきりしません。
 大正十四年当時の東宮殿下(昭和天皇)が行啓された折に家鴨を飼育して食事に献上しました。
 また泉のほとりには高野瀬芳夫氏の歌碑も建っています。
 「とこしえにすみて清水の満るらん古き玉井の誉とどめて」
 

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