公共公益施設 |
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スポーツ・レクリエーション施設 |
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警察署・消防署 |
成沢交番、蔵王温泉駐在所 山形市東消防蔵王温泉駐在所 山形市西消防署成沢出張所 |
ざおうときわすいてんぐう ①蔵王常磐水天宮 (桜田) B-6 |
くまのじんじゃ ③村杜 熊野神社(桜田) A-5 |
あみだどう ④阿弥陀堂 (桜田) A-6 |
明治12年(1879年)常磐橋(眼鏡橋)竣功を機に橋の永久安全を祈願して造営されましたが、明治23年洪水により橋と共に流失しました。昭和43年常磐橋記・常盤橋碑が出土したことで社殿復元の気運が高まり、桜田・片谷地・下谷柏の地区民の浄戝により、昭和45年復元されました。 |
創立は元禄年間甚右ヱ門なる人が紀州熊野権現より分神したとの言い伝えがありますが、定かではありません。明治元年神仏分離令により当神社を本殿阿弥陀堂を拝殿として届出、明治5(1872年)村杜に列す、昭和27年(1952年)宗教法人熊野神社と改められました。 |
宝暦13年(1763年)柏倉役所に書き上げられたのが初見で、造営の年代は不明である。御本尊は像高34㎝横19㎝の木彫座像で虫の害がひどく実態は定かでない。明治元年(1868年)3月の神仏分離令により熊野神社を本殿阿弥陀堂を拝殿とする届出記録があります。 |
いいだかんのんどう もとこもり ⑤飯田観音堂 本籠 B-4 |
いいだたてあと ⑦飯田館跡 (飯田) B-4 |
はちまんじんじゃ いしとりい ⑧八幡神社 石鳥居 (成沢) D-5 |
鎌倉時代初期作の観音像を祀り、境内には福寿山普門寺跡、弘法大師堂、早畝取地蔵堂や供養塔、石碑があり、御祭礼、どんど焼等の行事には多勢の町民で賑わいます。現在の場所より東方に正観世音舊跡があるが、約280年前に観音堂があった所で「本籠」と呼ばれています。 |
最上時代、山形城の出城として飯田播磨守が居住した所で二段型の地形をしており、周辺には本籠、鶏権現、神明神社、大日堂、熊野神社、諏訪神社を祀り、館の守りとしていた所です。また、取り入れ堰跡も一部残っています。播磨守は畑谷合戦(1600年)で戦死しました。 |
凝灰岩製高さ436㎝柱は直径99㎝の直立柱でその上に一石よりなる島木と笠木をのせている平安時代末期の造立と推定され、龍山佛教文化の繁栄した時代鳴澤口参道入口の象徴として大仁2年(1109年)この石鳥居が建立されたと古文書により伝えられ、成沢の空清水より採石された跡が鮮やかに遺っています。昭和27年最古の鳥居として、国の重要文化財に指定されています。 |
なりさわはちまんじんじゃ ⑩成沢八幡神社(成沢) D-5 |
めいたくさん じょうぜんじ ⑪鳴澤山 常善寺 D-5 |
きんたくさん げんぷくじ ⑫金澤山 源福寺(成沢) C-5 |
天喜5年(1057年)陸奥守源頼義が男山八幡を分遷し戦捷を祈願したと伝えられます。永徳3年(1383年)成沢城築城に当たり社殿を現在地に遷座、武運長久を祈願し以後連綿として祭典が行われ、明治6年郷社に列せられました。平成11年成沢城跡公園整備を記念して成沢城本丸跡に奥宮を建立し成沢総守護神社として崇拝されています。 |
龍山三百坊の時代、三百坊の中で主要な寺院であった天台宗隆勝寺が常善寺の前身です。三百坊が封鎖された後、成沢の沢内に降りた第二の龍山仏教の中心となって隆勝寺が百数十年に亘り興隆したと伝えられ、宝徳3年(1451年)加賀国大椙谷よりきた諸国行脚の僧無量坊により宗門を改め浄土真宗常善寺としました。 |
寺伝に鎌倉の昔、当村館山の西麗に浄樂寺と言われる寺ありき、年久しく頽廃していたが、嘉元3年(1305年)出羽国時宗本山天童佛向寺より時阿沢山上人巡錫に及び浄樂寺跡に一遍人の御旨に基き一何宗派時宗の教化を垂れ、一宇を建立し当山を開基せりと伝えられています。鎌倉時代の造顕とされる立派な阿弥陀如来像をまつる浄土宗の古刹であります。 |
ちょうえいいなりじんじゃ ⑭長栄稲荷神社(成沢) D-5 |
こくぞうぼさつそん ⑮虚空蔵菩薩噂(山田) D-4 |
さいごくさんじゅうさんかんのんぼさつ ⑯西国三十三所観音菩薩(山田) E-4 |
天明4年(1784年)佐倉藩第6代藩主堀田相模守正順公は、稲荷大神の信仰甚だ篤く領内の各村豊作祈願のため「長栄」の名を与えられ正順公直筆の社額と巻物一巻を奉納されました。天保6年(1835年)堀田正篤公の命で神殿を再建祭典資金25両を寄進されました。平成13年10月堀田家12代当主堀田正久公が成沢にご来訪され、境内に桜の木を記念植樹されました。 |
山田村社宝暦12年(1762)の建立であります。昭和20年4月の山田大火のおりに100米程度離れた所より類焼したという不思議な火災に遇っております。その後昭和30年に再建いたしております。 |
縁起としては、五穀成就の守護神、来世安泰一村並に十万信者の七難を除き七福を与えるという由来があります。弘化3年(1846年)建奉られております 平成16年6月17日に現在地に安置されております。 |
うばがみ ⑱姥神(山田) E-3 |
くまのじんじゃ ⑲熊野神社(半郷) E-5 |
げだいさん あんようじ ⑳解大山 安養寺(半郷) E-5 |
大変珍しい石仏として見出されたが、年代等不明です。龍山道中にあったものを3回程移動し現在地に安置しております。姥神は水辺に立って幼童を救い霊山へ女人登拝はここまでと示しています。 |
祭神は速須佐之男命(スサノオノミコト)江戸末期の文化9年(1812年)の棟札から当時村の鎮守神として奉られたものと思われます。現在も村社として毎年4月に春祭りの神事をとり行われており、平成2年の屋根替えには世話人を中心に村中の寄付を募っています。別当、日光院。 |
貞治2年(1363年)無着妙融大和尚の開山曹洞宗大本山総持寺の直末36門跡の一つ、県内外に十指に余る末寺を有しています。県重要文化財指定の銅造り聖観音立像は奈良時代の作。最上三十三観音巡礼始め光姫の乳母信夫と姉の安養尼層との物語を秘めています。 |
あきばさんだいごんげん ㉒秋葉山大権現(半郷) E-5 |
まつおさんかんのうどう ㉓松尾山観音堂(半郷) F-4 |
だいぼうしみず ㉙大坊清水(上野) F-4 |
御祭神・秋葉大権現の総本山は、静岡県周知郡春野町。寛政11年(1799年)半郷村が大火に襲われ焼け野原となった4年後の享和3年、火防祈願の為総本山より勧請して村の丑寅方位地に堂宇を建立し秋葉大権現と称し奉祀されました。御神体は「江戸の左甚五郎・出羽の音松」と言われた半郷生まれの名工粟野音松の作であります。 |
蔵王登山口にあり、最上三十三観音第9番札所、行基菩薩開基の伝説あり、堂は方三間の宝形造り室町時代の古風な様式が保たれている建造物として国の重要文化財に指定されています。内部の板張りに天正19年(1591年)慶長14年(1609年)の墨書が残っています。本尊の十一面観音と勢至菩薩の2基共3mを上回る大きな木像であります。 |
地元では「だいぶすず」と呼ばれ、多量の湧き水で夏は冷たく冬は暖かいので、以前は青菜を洗ったりして利用していたこともありました。自然水でとてもおいしいのでわざわざ水汲みに来る方もおります。山形市水道部の水源地となっているのもこの近くであります。この付近からは先住民の土器や石器が多数出土しており、縄文後の土器として報告され ております。 |
てんじんじんじゃ ㉚天神神社(上野) G-4 |
㉛こやだて(上野) F-3 |
さいとうもきちかひ ㉜蔵王第二小学校 斉藤茂吉歌碑(上野)G-5 |
上野の村社で通称「お天神さま」と呼ばれています。現在は行き止まりの道になっていますが、昔は金瓶から南坂を抜け「お天神」の前を通り小倉を経由して高湯温泉に登る道でした。明治のころまでは、若者組の地芝居が行われる賑やかな祭礼がありました。 |
鎌倉時代のころに楯として利用されたものと推測されます。南北両側を沢にはさまれ、西に向かって舌状に張り出した山頂上部に立地し、現在では空堀と堀切の状況が比較的良好に残っており、当時の楯の大きさ等が推測されます。 |
斎藤茂吉は金瓶と半郷の小学校で学びました。その後金瓶と半郷と上野の3校が合併し現在の蔵王第二小学校に至っております。茂吉は晩年母校のために「あかねさす日のまともなる高岡に心ゆたけく子らは学ばむ」と詠みました。昭和38年11月に校庭のヒマラヤ杉の元に、地区民等によりその歌碑が建立されました。 |
ざおうじぞうそん ㉞蔵王地蔵尊(蔵王温泉) G-1 |
すかわおんせいじんじゃ やくしじんじゃ ㉟酢川温泉神社と薬師神社(蔵王温泉) F-2 |
㊱観光地百選第一位記念碑(蔵王温泉) F-2 |
蔵王山は古くから信仰の山として尊崇されてきた名峰でその一座、地蔵岳の鞍部に鎮座する地蔵です。安永4年(1775年)上宝沢村施主為吉他数名の造立で「子安地蔵」と見られますが、遭難供養の地蔵でもあり、今では登山の老若男女、スキーヤーの安全も願うお地蔵さまです。 ※毎年5月24日・9月24日祭礼 |
三代実録、六国史清和天皇の条に「貞15年6月26日出羽の国酢川神社に正五位を授く」とあります。大国主神、少彦名神、須佐之男命、迦具土神の四神が祀られ古くから農工商の殖産振興、家内安全、厄難消除、縁結びの神として尊崇篤き神社、境内に子育ての薬師神社があります。 |
昭和25年毎日新聞が主催した観光地の人気投票「新日本観光地百選」山岳の部で第1位になりました。それを記念し建立されました。刻まれている和歌は蔵王をこよなく愛した斎藤茂吉が、その時の心からなる万歳を唱え新聞に発表した2首です。 |
なむあみだぶつせきひ ㊲南無阿弥陀仏石碑(蔵王温泉) G-2 |
旧高湯村入口に建立されたもので、嘉永2年(1849初代孫七が書したもの。「一切衆生平等利益」の教えを説き、村人の繁栄と旅人の安全を願ったものと思われます。 この他、同じものが庵寺にもあります。 以上 蔵王地区の歴史マップより引用 |