南沼原地区は、山形市の南西部に位置し、住宅・商業地として発展している地区です。明治22年の市町村制の発足に伴って、当時の「南館村」「沼木村」「吉原村」が合併して、それぞれの1文字を合わせて「南沼原村」としたのが始まりです。
南沼原地区一帯は、馬見ヶ崎川扇状地の扇端部に位置しで地下水に恵まれていたので、水田稲作地帯として定住性が強く、先祖代々農耕を守ってきたことが伝えられ、古代から集落があったようです。
羽州街道、小滝街道、狐越街道の街道筋の集落として発展し、山形市と上山や置賜地方を結ぶ交通の要衝地であるとともに、山形城下町の守りの前線地区でした。
最上氏の所領の時代が長く続いたと考えられますが、江戸時代の初めに最上氏が改易になったあとは、南館は山形藩領、沼木と吉原は堀田藩の飛び地となりました。
明治4年の廃藩置県後に「南館村」「沼木村」「吉原村」、そして明治22年に「南沼原村」となり、大正時代・昭和初期の時代が経過し、戦後の昭和29年10月1日に山形市に合併されました。
以後、立地条件が山形市街地に近いことから急速に都市化が進みました。昭和40年代までの農耕地の区画整理事業をきっかけに、昭和50年の国道348号開通に伴って沿線に店舗が多く立ち並ぶようになり、沼木パークタウンの造成、平成に入り南館西区画整理や吉原区画整理事業と続いて、南沼原地区は山形市の外縁市街地となりました。
山形市との合併前は2,900人だった人口が、現在は17,400人を有する「歴史と潤いに満ちた街・活気ある南沼原」として現在に至っています。
公共施設等
南沼原ひまわり幼稚園、南沼原ひまわり保育園、
キンダー南館保育園、はらっぱ保育園
山形市立南沼原小学校、山形市立第十中学校、
山形県立産業技術短期大学校、山形県立山形職業能力開発専門校
山形県立工業技術センター、山形県高度技術研究開発センター
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