シリーズ飯塚の歴史@ 飯塚のナゾの板碑
飯塚町郷土史研究会 小山忠一 
飯塚町の東はずれの方に楊柳寺という寺がある。
その境内に延文二年の年号が刻まれた板碑がある。
幼い頃近所に住む私達が遊んでいるとき、だれかが「寺の床下に化物石がある」と
言い始めた。
わたし達はこわいもの見たさで床の下にもぐって見に行ったら、やはり下半分位が
埋もれた石があった。
その後、昭和34年に寺で現在の位置に移し供養した。
その碑は、高さ70cm、幅50cm位の平べったい安山岩で、阿弥陀三尊の種子梵字が刻まれており、その横下に「為妙」とあり、その下が欠損している。
亡き人の供養塔であろう。
年号は延二天丁酉(ひのととり)とある。ちなみに延文の年号は北朝の年で
今から約650年前建立されたもので飯塚では一番古い板碑である。
この碑は化け石と名まで付けられて、なぜ寺の床下に隠されたのだろう。
まだ解明していない。
     
板碑。未だ明かされないナゾがある。   碑に彫られた梵字。
 
@ 飯塚のナゾの板碑 G 飯塚町の熊野権現堂
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C 飯塚村の大火 J 下飯塚の薬師様
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E 志鎌集落の名字考 L 飯塚村の「はやり餅」
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