シリーズ飯塚の歴史C 飯塚村の大火
飯塚町郷土史研究会 小山忠一 
大正10年、此の年はひどい旱魃だったようである。
田圃に水を引くため昼食をすませて出かけようとした時、北の宿より火災が発生した。
6月8日午後2時である。
大風に煽られ大火となり村の消防団を始め近郷の消防団の努力も空しく160余戸の民家のうち54戸、学校など公的建物3棟を焼失したが、火の勢いが止まらない。
これを見ていた32連隊の将校 加藤伝六大尉が”我が生家が焼ける”と察知し、連隊の1箇中隊を率いて現場に到着。
現在の風土然さんに燃え移る寸前、大尉は兵全員をコヤマさんの藁屋根に登らせ、屋根の藁全部を剥ぎ取らせたので、さすがの猛火もそこでストップ。
大尉の機転と言えよう。
一方、小学校の校長 内海菊次郎氏は、休校止む無しと考えたが、
それでは悔いを後世残すと思い直し、村議会に即開校の意を申入れ、直ちに楊柳寺の克方和尚に願い、本堂を教室にとの快諾を得た。
また、助役 橋甚三郎氏の蚕室も借り、翌9日午後、全校生徒を校庭に集め次のような訓示をした。
「明日より楊柳寺内で授業を始める。学用品の心配はいらぬ。持って来る物は、百折不撓の精神だけ。」
訓示が終った。
全生徒の目が光っていた。
     
 
@ 飯塚のナゾの板碑 G 飯塚町の熊野権現堂
A 八郎右ェ門堰と樋越し(とよこし) H 飯塚山楊柳寺
B 昔の耕地の字名 I 中の江の薬師様
C 飯塚村の大火 J 下飯塚の薬師様
D 飯塚町の庚申(こうしん)様信仰 K 飯塚の千度参り
E 志鎌集落の名字考 L 飯塚村の「はやり餅」
F 盗まれた地蔵さんの首