シリーズ飯塚の歴史G 飯塚町の熊野権現堂
飯塚町郷土史研究会 小山忠一 
飯塚の15区内に、東北電力の変電所があり、南へ50m位の処に熊野堂があります。
地区民は昔から、”おくまん堂”と呼んでいました。
往時この土手の下を須川が流れ、隣の沼木村、村木沢村、飯塚村の三村の境界として認識されており、この堂は沼木村のある家が管理していました。
その後延享3年(1746年)国替えにより、飯塚が山形藩の松平氏へ、沼木は佐倉藩の堀田氏の領に分けられたので、この熊野堂の管理等を巡って争いが起こってしまったそうです。
結局飯塚領になったので、現在は飯塚地区にお住まいの方が管理して下さっています。
先日その方を訪ね、熊野堂に関する口伝をお聞きしたり物品等を拝見させていただきました。
先ず明治に堂の建替が有り、其の時の棟札を写してきました。
それには、中央に「奉再建熊野大権現」右側に「明治十年丁丑(ひのとうし)年」左側に「建主椎名茂右ェ門 大工岸野岩吉」とありました。
茂右ェ門さんは熊野堂を管理して下さっている方の曽祖父です。
もう1つの品は発}に建てる二流れののぼり旗です。
それには左右二流れ共、「奉熊野神社」旗の左側に「明治十四年三月十五日」とありました。
ここで目を引くのは、堂の棟札には“熊野大権現” 旗には“熊野神社”と書いてあることです。
時の明治政府は、維新後、廃仏毀釈令を発布しました。
茂右ェ門さんがそれに屈せず、人目につくのぼりにだけ神社と書いたのでしょう。
なお、現在の権現堂は平成20年度の前半に建て替えられ、今に至っております。

     
現在の熊野権現堂 のぼり旗
 
@ 飯塚のナゾの板碑 G 飯塚町の熊野権現堂
A 八郎右ェ門堰と樋越し(とよこし) H 飯塚山楊柳寺
B 昔の耕地の字名 I 中の江の薬師様
C 飯塚村の大火 J 下飯塚の薬師様
D 飯塚町の庚申(こうしん)様信仰 K 飯塚の千度参り
E 志鎌集落の名字考 L 飯塚村の「はやり餅」
F 盗まれた地蔵さんの首