シリーズ飯塚の歴史B 昔の耕地の字名
飯塚町郷土史研究会 小山忠一 
昔、わたしの近所に留吉さんというおじさんが居て、「もの知りおじさん」という印象が残っております。
田畑が近いので色々なことを教わりました。
その中から今回は耕地の昔の字名を2、3紹介します。
まずは町の東の方から。
現在のキリシタン道を「横道」と呼んでいました。
いまでは、3区の3・4班の南の集落を飯塚町より分けて山形市横道となったのでしょう。
西見田。5区の吉田石屋さんの作業場より南に入ったあたりを西見田と呼んでいますが、
昔は「三角田」とかいて「みすみ田」とよんでいました。
ちょっと変わった名前ですが、なぜ、「みすみ田」なのでしょう?
飯塚村時代より、田圃は村の東の方に畑地は西の方にあり、「みすみ田」地区が
田と畑の合う地点でした。この地点で変形的な田圃がたくさん生じたので、
「三角田」と付けたそうです。
     
 
@ 飯塚のナゾの板碑 G 飯塚町の熊野権現堂
A 八郎右ェ門堰と樋越し(とよこし) H 飯塚山楊柳寺
B 昔の耕地の字名 I 中の江の薬師様
C 飯塚村の大火 J 下飯塚の薬師様
D 飯塚町の庚申(こうしん)様信仰 K 飯塚の千度参り
E 志鎌集落の名字考 L 飯塚村の「はやり餅」
F 盗まれた地蔵さんの首