飯塚町の1区から旧市に通じる細い道があった。
其の中間あたりの農地を、「中の江」と呼んでいた。
そこに“薬師如来”と刻まれた薬師様を祀る小さな石碑が立っており、昭和6年4月建立
とある。
その石碑の日除けのように植えられているのが糸檜葉(イトスギ)で、遠くからも目印に
なっている。
この周辺の田圃は病田(やまいだ)とも呼ばれている。
もとは飯塚の住人の持田であったが、現在は人手に移っている。
病田とは、いったい何であろうか?
私が県内外に出かけたとき、探訪先で病田の話を聞き、現地を見せてもらったことが
ある。
病田についての共通点は、その田の持主の家には、「病人が絶えない」ということらしい。
関連があるのかないのか、中の江の薬師様のある場所は、昔、最上城の処刑場であったとの口伝が残っているのだが、信憑性はない。
こんな話が残っている。
昭和43年頃、飯塚の農地区画整理のため、薬師様の石塔を別の場所に移転しようとしたことがあった。
ブルドーザーの運転手が石塔に手をかけたら、ひどい目眩を覚え倒れたという。
すぐに作業をやめ、休養したが目眩がおさまらず、数日後に他界してしまった。
私は崇りという言葉は信じたくはないが、その後薬師様は移転されないまま元の場所に安置されたということだ。
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