シリーズ飯塚の歴史D 飯塚町の庚申様信仰
飯塚町郷土史研究会 小山忠一 
飯塚町には庚申塔が4基あります。
それだけ庚申信仰が盛んだった事が伺われます。
中でも今から287年前に建てられた塔に42名の講中名が刻まれております。
飯塚の講は仏道の庚申で面金剛尊を祀っております。
庚申様の祭りは旧暦の庚申(かのえさる)の日で年に6回ありましたが、
年始めと年の最後の庚申の2回だけに略していました。
庚申様の日に当番の家に金剛尊の掛図をかけ、講中の人は仏家の法印があげる経と一緒にお参りして終えていました。
金剛尊の下は3匹の猿が描かれています。これが庚申の三猿です。
礼拝が終ると皆が持ち寄ったもので、夜が白むまで宴会が開かれました。
「眠れば天帝に魂を抜かれる」という言い伝えから、夜通し寝ずに行いました。
実はこれは表向きの行事で、時の江戸幕府は百姓・町民の夜の会議一切を禁じていたため、庚申講の名に隠れ、会議を開いて悪代官の直訴のことや百姓一揆等の話をしていたということです。
一番鶏が鳴いたら直ちに解散、庚申堂を出たら人に何を聞かれても
「何も見なかった、何も聴かなかった、何も言わなかった」
と厳しく秘密を守っていたのです。
庚申の三猿とは、不見猿(みざる)、不聴猿(きかざる)、不言猿(いわざる)の事なのです。

   
1番左が面金剛尊を祀った塔   3匹の猿
 
@ 飯塚のナゾの板碑 G 飯塚町の熊野権現堂
A 八郎右ェ門堰と樋越し(とよこし) H 飯塚山楊柳寺
B 昔の耕地の字名 I 中の江の薬師様
C 飯塚村の大火 J 下飯塚の薬師様
D 飯塚町の庚申(こうしん)様信仰 K 飯塚の千度参り
E 志鎌集落の名字考 L 飯塚村の「はやり餅」
F 盗まれた地蔵さんの首